明治25年 (1892) 富士川游氏らの発起により、先人の偉業を顕彰して医道の昂揚を図らんとする私立奨進医会を日本医学会の前進とする。この年3月4日、杉田玄白らが小塚原観臓の記念日を卜し、東京根岸の古能波奈園において、先哲追薦会を挙行し、爾後毎年とれを挙行し総会を兼ねた。機関誌として「奨進医談」を刊行したが、のち内外の最新医学を紹介し併せて医道精神を昂揚するため、明治13年 (1880)原田貞吉氏らが創刊せる「中外医事新報」を継承して機関誌となし、爾後、通巻1286号におよんだ。
大正4年 (1915) 1月、私立奨進医会を改組し、医史と動議に関する部門を分立して奨進医会と称し、他の事業部門を日本医師協会とし、「中外医事新報」を奨進医会機関誌として従前通りの編集方針を続行した。
昭和2年 (1927) 11月14日、奨進医会を日本医史学会と改称し、機関誌「中外医事新報」を第1117号 (大正15年11月20日)発行より、医史に関する専門誌として編集方針を変更。
昭和3年 (1928) 3月、会則その他を定め、初代理事長に呉秀三氏就任。
昭和7年 (1932) 3月、呉秀三氏の死去により入沢達吉氏理事長となる。
昭和9年 (1934) 4月、第9回日本医学会総会に際し、本会は第一分科会に加入し今日にいたる。
昭和13年 (1938) 入沢達吉氏の死去により3代目理事長に富士川游氏就任。
昭和16年 (1941) 1月、4代目理事長藤浪剛一氏就任。
「中外医事新報」を第1287号以降「日本医史学雑誌」と改題す。
昭和17年 (1942) 12月、藤浪剛一氏の死去により5代目理事長に山崎佐氏就任。
昭和20年 (1945) 1月、戦災により印刷所焼失のため、「日本医史学雑誌」発刊不能となり第1334号をもって休刊。
昭和23年 (1948) 3月、戦後中絶せる恒例の医家先哲会を復興し、第55回総会を挙行。
昭和24年 (1949) 1月、中野操氏らの発起により昭和13年に設立された杏林温故会を本会の支部組織とし、日本医史学会関西支部と称し、支部長に中野操氏就任。
昭和27年 (1952) 12月、関西支部機関誌「医譚」復刊。(昭和13年創刊より昭和19年6月休刊まで17号発刊)
昭和28年 (1953) 7月、山崎佐理事長を辞し、6代目理事長に内山孝一氏就任。
会則を改め、機関誌復刊を計画す。
昭和29年 (1954) 3月、機関誌「日本医史学雑誌」復刊通巻制を廃し昭和16年の改題時に遡り1年分を1巻とす。復刊第1号の通巻第1335号を第5巻第1号とす。
同年3月28日恒例の先哲医家追薦会を総会と改称し、第56回総会を開き、毎年1回開催に定む。同年9月、第14回国際医史学会議に始めて参加し、理事小川鼎三氏ローマ会議に本会代表として出席。
昭和33年 (1958) 第60回総会開催に当たり、記念事業として医学古典集を発刊。
昭和35年 (1960) 4月、内山孝一氏理事長を辞し、7代目理事長に小川鼎三氏就任。新たに総会会長を定む。
(「日本医史学雑誌第10巻 第1号・昭和37年5月20日発行」より転載)
昭和59年(1984) 第8代理事長に大鳥蘭三郎氏就任
平成03年(1991) 第9代理事長に蒲原宏氏就任
平成18年(2006) 第10代理事長に酒井シヅ氏就任
平成22年(2010) 一般社団法人 日本医史学会設立(平成22年6月1日)
平成25年(2013) 第11代理事長に小曽戸洋氏就任
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