第44巻 第2号
通巻 第1490号

平成10年4月20日発行

目次・表紙絵解説

プログラム

会長講演

会長講演「牛種痘種痘法の鼻祖中川五郎治に関して過って伝えられていること」
松木明知

特別講演Ⅰ

Edward Jenner's Activity in Science
Malcom F. Beeson

特別講演Ⅱ

North American Vaccination above the 49th Parallel
John W.R.McIntyre

シンポジウムⅠ

日本における医史料の蒐集と保存について―その現状と提言
寺畑喜朔

シンポジウムⅡ

若い人たちに医学史を伝えるために
大村敏郎

一般口演

明治初期の啓蒙医家森鼻宗次
中山沃

済生学舎出身の生化学者、旧制金沢医科大学学長「須藤憲三」について
唐沢信安

医師・加藤時次郎と横浜
中西淳朗

太田正雄(木下杢太郎)の医学ノートについて
黒川一郎、島田保久、吉田信

最近発見したヒポクラテス画像と賛文について
蒲原宏

―坪井信道賛― 川原慶賀のヒポクラテス画像
和田和代史

小島宝素の『医心方』巻22の伝鈔について
町泉寿郎

幕末期の院内銀山の死亡者記録の分析 「門屋養安日記」にみる庶民の医療(2)
莇昭三

「看護」という言葉の使用のはじめ(第3報)-鎌倉時代末期の仏教史書『元亨釈書』と看護-
平尾真智子

大村藩の古田山と長与俊達、大浦嘯山
長与健夫

足立長雋の祖為春先生と乗附為春海鏡
石原力

江戸期本草家の北陸への関心(2)畔田翠山の白山・立山紀行
正橋剛二

中国伝統医学と道教(第19回)「符」
吉元昭治

中日両国に於ける古代の疾病流行について
邵 沛

医療技術の視点から見た『三国志』と『三国志演義』の比較
和田裕一

『素問攷注』の用字例
宮川浩也

李東垣の瀉血療法
友部和弘

元代の三皇廟について
秦玲子

『紹興本草』の新知見
真柳誠

『玉機微義』における薬物の使われ方
原田俊介、小曽戸洋、真柳誠

宋板傷寒論可不可篇の成立について
牧角和宏

『全9集』の編纂者とその意図
遠藤次郎、中村輝子

清医 趙淞陽について―1726~1729年の長崎での逸事―
郭秀梅、岡田研吉

田中弥性園所蔵の善本古医籍(明版)
小曽戸洋、田中祐尾

同仁会の機関誌『同仁』について
丁 蕾

ドイツの臨床神経学 Romberg から Erb まで
高橋昭、伊藤泰広

ベレッティーニ解剖図譜における自律神経系(第2報)
オルリー・レジス、本宮かをる

オランダ・ライデンの外科医ギルドの歴史
石田純郎

リヨンにおける医学小史(2)―オテル・ディウとシャリテ―
小林晶

フランスにおける人痘法受け入れ論争
小田泰子

ヴェサリウス解剖学の構成とその起源について
坂井建雄

ハックスリの英文・比較骨学図譜(1864年)について
松尾信一

19世紀アメリカ医学における瀉血
藤倉一郎

アヴィセンナ(イブン・シーナ)の「医学範典」における精神医学(第1回)
濱中淑彦

ハスダイ・イブン・シャプルートとカイロ・ゲニザ
泉彪之助

日本の精神病学における遺伝学的研究の歴史(その2)
岡田靖雄

鴎外の「甘瞑の説」
高橋正夫

解剖用語「膵」の受容、定着の過程について
佐藤裕

歯牙硬組織生活力に関する概念の変遷について
西巻明彦

梅毒血清診断ワッセルマン反応と日本への紹介について
会田恵

浅田宗伯と清国駐日公使館の人たち
陳 捷

明治12年から16年までの東京府における医術開業旧試験について
樋口輝雄

死体と臓器移植
杉田暉道

『芸備医事』の復刻事業について
江川義雄、中川和夫

地蔵寺過去帳による華岡青洲の系譜の新知見
松木明知

日本における脊推麻酔の歴史―昭和20年以前の研究について(
小谷直樹、松木明知

性病予防行政史 ―戦後の激動期を中心に―
長門谷洋治、坂上俊之

クロフォード F.サムス大佐の人と業績
吉見契子、鈴木明子

松本 順と北海道―特にその来道と足取りを追って
宮下舜一

赤城信一について(第3報)
上田智夫、小竹英夫、宮下舜一、吉田信

徳川慶喜の奥医師の生誕地とその周辺
木村專太郎

1910年以前の在韓宣教医
高安伸子

明治12年沖縄県のコレラ流行 ―土屋寛信の『琉球紀行』から
深瀬泰旦、真柳誠
The 99th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
投稿規定

編集後記

日本医史学会役員氏名・奥付