第42巻 第2号
通巻 第1482号

平成8年5月20日発行

目次・表紙絵解説

プログラム

会長講演

開拓使時代の医療
吉田信

特別講演①

蝦夷地とロシア―北辺医史学の背景としての日露関係―
秋月俊幸

特別講演②

現代ウイルス学よりみたジェンナーの論文と伝記について
加藤四郎

一般口演

原始巫医の世界的普遍性の考察
奥富敬之

憑きもの再論
岡田靖雄

岸田吟香が中国で販売した日本関連の古医書
真柳誠、陳捷

淳于意伝記考
猪飼祥夫

『清医胡兆新問答録』―1804年の中国医への問答報告書について―
郭秀梅、真柳誠

中国古代人体内景図に於ける脂●(月+曼)、脂膜について
高島文一

新発見の馬玄台『難経正義』
王鉄策、真柳誠、小曽戸洋

谷野一栢著『難経抄』所引医書について
宮川浩也

浅田宗伯と黄遵憲
陳捷

『傷寒論』の「煎・熬」に対する、『方言』による解釈
岡田研吉、郭秀梅

素問・霊枢に於ける血管及び血管病の記載について
家本誠一

漢代の医療技術について
和田裕一

中国16世紀以前の瀉血療法
友部和弘、真柳誠

中世における瀉血
藤倉一郎

歯髄の歴史
西巻明彦

澁江長伯が蝦夷地で採集した植物標本について
山岸喬

津軽における貞亨、元禄年間のケシ栽培の実態
松木明知

森枳園宛の書簡類-伊沢柏軒、小島宝素、喜多村直寛・多紀元?・元佶等
町泉寿郎、小曽戸洋

蘭門五哲の書幅
小曽戸洋、町泉寿郎

北里柴三郎口述中川愛咲編纂「伝染病研究講義」の内容及びインフルエンザ菌の発見について
会田恵、田口文章

卵管の発見者、ガブリエーレ・ファロッピオについて
藤田尚男

チンチョン伯爵夫人とキナ渡米伝説
泉彪之助

『医語類聚』(奥山虎章)とMedical Lexicon (Robley Dunglison)
深瀬泰旦

北陸における法医学の源流
寺畑喜朔

『裁判醫學提綱』にみる「狂」の用語について
小曽戸明子

吉村喜作博士とバビンスキー徴候
田代邦雄

日本プロテスタント・ミッション医療伝道の方針転換についての一考察
高安伸子

釈迦とキリストの患者の治療の実態について
杉田暉道

広島原爆救護活動補遺
江川義雄

1721年、ボストンにおける天然痘流行と人痘法の施行
小田泰子

ジェンナーをめぐる2、3の話題
石田純郎

フラカストロの伝染理論
伊藤和行

山本致美訳『扶氏診断』と島村鼎甫訳『扶氏診則』
津下健哉

足立長雋の訳書『産科礎』の成立年代
石原力

華岡青洲及び春林軒塾に関する岡山県内資料
中山沃、石田純郎

高岡長崎家の子弟教育について―四代蓬州、五代浩斎を中心に―
正橋剛二

デンマークの師・マッセン博士に宛てた野口英世の書簡
石黒達也

児玉信嘉宛野口英世16書簡
石原理年

高坂駒三郎と旧蔵書簡―森?外書簡など
小田晧二

森?外のライプチッヒにおける衛生学研修
武智秀夫

日本消化器病学会発足の頃
大村敏郎

初期の皮膚科学における東大と京大
長門谷洋治

アルブレヒト・フォン・ローレツの「皮膚病論一斑」
今泉孝

永坂石?(周二)の小伝と日本整形外科への功績
蒲原宏

明治前期における医師試験制度と奉職履歴医について
樋口輝雄

1888年の医学校処分について
黒澤嘉幸

財団法人・日本医学専門学校の学校騒動と私立東京医学専門学校の独立分離
唐沢信安

明治女医史の基礎的研究
三崎祐子

明治廿六年医科大学国家医学講習科実録(学生記録)
石崎達

太田正雄(木下杢太郎)の医学ノートについて
黒川一郎、島田保久、吉田信

徳川昭武公の『順天堂入院日誌』について(第2報)
中西淳朗

中国伝統医学と道教(ⅩⅦ)『三国演義』から
吉元昭治

民間急救療法
谷津三雄、渋谷鉱

日本における作業療法の歴史
吉見契子、鈴木明子

「看護」という言葉の使用のはじめ(第1報)―看護という言葉はいつから使われるようになったか―
平尾真智子

我が国の顕微鏡の由来-和田医学史料館所蔵の顕微鏡の歴史-
和田和代史

赤城信一について(第1報)
上田智夫、小竹英夫、宮下蕣一

札幌黴毒院について
島田保久、横田一郎、黒川一郎、片岡是充、長瀬清、吉田信

The 97th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
日本医史学会会則抄

投稿規定

編集後記

日本医史学会役員氏名・奥付