第30巻 第2号
通巻 第1434号

昭和59年4月30日発行

目次

プログラム

特別講演

吉田長淑とその学統
津田進三

E・ベルツの「憑依とその類似状態について」
安井広

会長講演

いわゆるターヘル・アナトミアの脚注について
酒井恒

一般口演

佐賀藩の『医師免札姓名録』について―(その2)―
酒井シヅ

幕末における医学研修
深瀬泰旦

村上田長について
川嶌眞人、今永正樹、武吉攻、村上玄児

本邦に全身麻酔を伝えた高嶺徳明の事蹟
松木明知

山脇東洋およびその一門の解剖の地
宗田一

『解屍編』刊行以前の河口信任の解剖
川島恂二

伏屋素狄の『実験記録ノート』について
三宅宏司

金沢における明治中期の剖検記録―第四高等中学校医学部―
寺畑喜朔

1862年(文久2年)麻疹の大流行と長州藩
田中助一

くすりの歴史―その使用価値の考察―
安江政一

カスガイ膏の伝承について―アンブロアズ・パレとわが国の外科―
大村敏郎

日葡辞書から見た安土桃山時代の医学―(4)生理並びに病理現象
亀節子

中条帯刀と中条流産科
山形敞一

ボードインの持帰った日本の美術品600点と日本の写真(1862~70)130枚
石田純郎/H・ボイケルス/H・E・ヘンケス

宮城県蔵王町平沢「だるま堂」について
玉手英典

歯の名称について
本間邦則

ドイツ医学採用(明治3年)前後の別な事情(3)
原口忠男

私立医学校済生学舎のこと
神谷昭典

明治時代の公立医学校廃止の顛末(その3)
西川滇八

昭和十年改正の算術教育変更方針とその後の初等・中等・数学・理科教育の改革ならびに大学・理科教育改正との関連性について
柴田幸雄

日本産業の黄燐中毒
三浦豊彦

佐久間貞一の「8時間労働」
森博

初期の植民地医療における現役軍医の役割―殊に台湾、韓国において―
佐久間温巳

救急法に関する2、3の成書
谷津三雄、鈴木勝

日本医学放射線技術史における梅谷友吉小伝
今市正義

新島襄とドイツ
守屋正

Liesegang の組織学への貢献
中村三雄

藤野厳九郎の学歴
泉彪之助

愛知医学校卒業生藤野厳九郎と教科書
藤野恒三郎

近代日本における診療録の歴史
長門谷洋治

江戸医学館の考試弁書『癩癇狂弁』について―当時の精神病学説をみる―
岡田靖雄

近世、因伯における狐つき、狐持ちの俗信
森納

Acedia ―メランコリーの中性版
大橋博司

資料を通して見た平安時代の医学の社会的側面について
MACE・美枝子

『多聞日記』に現われる伝染病の検討
中村昭

縄文土器・土偶の産科学的考察
石原力

江戸期の子育ての書に現われた乳幼児発達観
小嶋秀夫

石坂宗哲の医学について
石原武

『医心方』に見える鑑真方について
三井駿一

『医心方』の伝写について(Ⅳ)―愛知県下にある『医心方』写本
杉立義一

中国医学と道教(Ⅳ 善書について)
吉元昭治

『外台秘要方』による古医籍輯佚の検討
小曽戸洋

『金匱要略』の古版本二種についての新知見
真柳誠、小曽戸洋

中国伝統医学習得学生の漢語素養について(最終報)
小杉順一

中国における“医は仁術"の思想と史的変遷
山本徳子

素問霊枢に於ける気の研究
家本誠一

安土桃山時代に於ける吉田家と曲直瀬家の関係について
安井広迪

名古屋玄医の医学思想と『医方問余』について
花輪壽彦

内藤希哲の医説
丸山敏秋

津田玄仙の理想とする漢方医学教育
平馬直樹

水野皓山と山本読書室
遠藤正治

江戸時代後期の小児科学
安達原曄子

The 85th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
日本医史学会会則抄

投稿規定

日本医史学会役員氏名・編集後記・奥付